ご挨拶

特定非営利活動法人ビーバー 代表理事について

氏名:齋藤 裕紀 (さいとう ゆうき)

出身:大阪府堺市

好き:食、本、旅

弱点:シーツの皺、早起き、虫、寒い、おなか

趣味:筋トレ、ランニング、山登り、素潜り

回復期病院6年間で脳血管疾患、高次脳機能障害、整形外科疾患などの在宅復帰・復職支援を経験。3年目より実習生指導、4年目よりリハビリテーション部門内教育係として技術指導、他職種への研修・理学療法士新人研修の講師を担当。5年目より院外派遣職員としてICUでのリハビリ業務に関わり、地域医療機関との連携強化。

有料老人ホーム4年間(非常勤)で維持期リハビリを経験。転倒予防・ADL改善のための環境設定、介護職員への介助技術指導。

訪問看護1年間でがん、難病、重症心身障害など在宅リハビリを経験。

個人事業6年間(不定期)で、脳疾患専門の慢性期リハビリを経験。在宅期においても維持ではなく改善を目指せる場を提供したいという想いから、公的保険外訪問リハビリサービスを創業。委託事業として通所施設における機能訓練加算の書類作成補助・業務改善のためのコンサルティング、地域活動の一環として患者会での生活リハビリの技術指導、老人会での健康体操など講師活動。

整形外科クリニック4年間で、小児から高齢者までの整形疾患分野のリハビリを経験。管理職として、管理運営業務とリハビリテーション科内技術指導と科内教育体制作り。

(延べ担当患者数 約2,000人)

「障害」との初めての対峙は幼少期、「重症心身障害」とは大学時代でした。

 今や独自のインクルーシブ教育が醸成されている(?)大阪に生まれた私には、自閉症、筋ジストロフィー、ダウン症、発達障害、情緒障害という課題をもった同級生達が複数名いました。幼い当時は病気のことなど知るわけなく、「びょーきなん?へー。」って思うだけでしたが。自閉症のあるO君とは帰る方向が同じでよく共に帰っていたし、途中で支援学級に移った筋ジスのA君、発達障害のあったSとはよくゲームをしたり、鬼ごっこをしたりと、「障害」が「しょーがい」くらいカジュアルにある生活でした。親の友人には、強めの知的障害のあるMちゃんもいたし、中途で脳血管障害をもつ少し年上親族もいます。「しょーがい」は切っても切り離せないものとして身近にあったのですが、さすがに高校生になると身体的・知的に差が出てくるので関わるきっかけも無く時が過ぎ、その同年代達が抱える問題を考え直すことになったのは、理学療法士の養成校時代でした。実習で対峙することになったのは「重症心身障害」の終末期です。言葉に騙されないでほしいですが、確かに身体の変形や動き方、意思表示の手段などはかなり個性的でしたが、皆さん穏やかで温かく、平和なものでした。不思議なことに重度四肢麻痺をもつKさん(優しいおっちゃん)の顔や動き、呂律の回らない声さえも今でも覚えています。

 理学療法士且つ伴走者という立場での十数年にわたる「しょーがい」との対峙は、“すべての人は、それぞれが意思を持つ一人の生活者であり、それぞれにとってより良い生活に近づけるために何ができるのか”を問い続けるものでした。高齢者→中年→壮年→青年→少年→幼児→乳児と、遡るように関わる年齢が下がって今に至りますが、ずっと変わらない考えは、障害寄りの健常、健常寄りの障害、オトナ寄りのコドモ、コドモ寄りのオトナ、過去があって今や未来がある、未来に向かって今があるというシームレスな捉え方です。

 私の考える支援の方向性はこの捉え方の中で、各人がいろんな状況にある中でどうやって自身の世界を豊かに広げていけるかにあります。特別なことではありません。乳幼児の時に海外旅行に行ったって全く覚えてない(実体験)けど、家族で様々なところ(いろんな公園?)へ行って何となく楽しかったことは覚えている。嫌なことや退屈もたくさんあったけど、同じくらい良いことや刺激もたくさんあった。苦手な人にもあったし、魅かれる人にも出会った。でも、それはただ家にいるだけでは得られなかった体験ばかり。そんな体験のバランスをとるようにサービスがあったらいいのではないか。今はそのように考えています。

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